ブラジル人ですら知らない「ファベーラ」の語源と本当の意味

ブラジルでスラム街のことをファヴェーラ(favela:日本語ではファベーラと書く場合も多い)と言いますが、これはブラジル独自の言葉です。映画「シティ・オブ・ゴッド」が世界中大ヒットとしたことでこの言葉もかなり世間に浸透してきたのではないでしょうか。

ところでこの「ファヴェーラ」という言葉には一体どういう由来があるのか。ただスラム街というのなら他にもっと言い方があったのではないかと思い、気になったので調べてみました。

ファヴェーラの意味と由来

実はこの単語、「ファヴェーラ」はブラジルに生息する植物の名前で学名を「Cnidoscolus phyllancatus」というそうです。緑の葉を生やし、無数の大きな刺を持つこの植物がでは一体どうしてスラム街の名前の由来になったのでしょうか。

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その答えを見つけるには歴史を1896年から1897年にまでさかのぼる必要があります。当時のブラジル北東部は厳しい貧困にあえぐ人々で溢れかえっていました。

北東部といえば時期によっては雨がほとんど降らず、干ばつ地帯が広がる地域です。特に内陸部では作物もほとんど育たないような荒れ地が続きます。

そんな未開の僻地で暮らす人々のことをポルトガル語では「sertanejo」と呼びますが、当時の政府に反発し、自分たちの劣悪な生活環境にうんざりしたsertanejoたちはバイーア州北部にカヌードスという街を自分たちで建設します。そのうちの多くがカヌードスにある丘に住居を構えました。その丘を現地の植物にちなんで「ファヴェーラの丘」と呼んだのです。

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当時のカヌードス

これに対し政府はsertanejoたちの反乱を恐れて、カヌードスに軍隊を派遣します。そこではブラジル軍の歴史上で最もひどい部類の虐殺が行われたとされています。

カヌードスに派遣された軍隊がリオデジャネイロに戻ると、軍から給料の支給がストップし、兵隊たちはどうにか生活しようとリオデジャネイロの丘の周辺に自ら材木だけを集めてきては簡易な住居を作りました。

この場所には「プロヴィデンシアの丘」という名前が付けられ、また同時にカヌードスのことを知っている兵隊たちがその劣悪な環境を皮肉って「ファヴェーラ」と呼ぶようになったのです。

この「プロヴィデンシアの丘」こそブラジルで最初のファヴェーラとされていますが、実際の起源はカヌードスの「ファヴェーラの丘」なのです。

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建設当時の「プロヴィデンシアの丘」

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現在の「プロヴィデンシアの丘」

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